欧州回想録20060629 [欧州回想録2006]
突如、一年の時を経て昨年の欧州旅行の記録を作ろうかと思います。
パソコン持参で旅行された知人は、リアルタイムで現地から更新していたのですが、私はそうも行かず土産話もロクに出来ないまま、気付けば一年経ってしまいました。
中途半端に遅れて書くのも間抜けなのでなかなか手付かずだったのですが、思い切って一年遅れた今が丁度良いかと思い、始めることにしました。
私は欲張りなので、わざわざ遠いところに行くのであれば、いろんなものをまとめて見てしまいたいのです。後で後悔するのはまっぴらゴメンという訳です。
というわけで、ワールドカップ+ツールドフランス+建築見学の旅をすることにした。
?ワールドカップ
98年フランス・02年日本に続き、06年ドイツ大会の観戦。
準々決勝4試合中2試合
準決勝2試合中2試合
そして決勝
ダフ屋もびっくりの5枚のチケットを携えて、3度目のワールドカップへ。
?ツールドフランス
大学生の頃、体力が有り余っていたのでマラソンの他、自転車競技もかじっていた。ツールドフランスのテレビ放送も欠かさず見ていた時期もあり、選手の他、観客の姿を見ながらいつかの観戦に思いを馳せていた。
ただ2006年、何気なくコース図を見ているとドイツにとても近い部分がルートに取り入れられていることが発覚。興味あることにだけ反応する英語脳を駆使し、公共交通機関で行けるポイントを発見した。
?2000年にイタリア他3カ国、2001年に新婚旅行でバリ島に行ってから海外旅行には縁遠くなったのだが、設計事務所で建築情報を仕入れるにつれ、見たいもののストックが頭の中に増えてきた。それを見に行くためだけに飛ぶのも現実的には大変だけど、きっかけがあれば見たいもののリストは頭の中に明確にあった。あと、近代建築の宝庫であるベルリン、そして現代建築の宝庫となった原因のベルリンの壁。見たいもの満載です。
多少のハード日程は覚悟の上、見たいものを線で結んでみると、?+?+?で特濃クラスの旅行ルートが出来上がった。
確か、12日間の旅の始まりです。
2006年6月29日
6/29午前10時30分中部国際空港からルフトハンザ航空でドイツへ
6/29午後15時30分(以後すべて現地時間)フランクフルトへ。ここで乗り継ぎ。
注)サマータイム中の時差7時間。
ベルリンで三井ホーム時代の直属の先輩K氏と再会。
勤続15年のリフレッシュ休暇をこのタイミングで使ったとの事。
手前はベルリン名物カレー味のウインナー
手始めにまずはこれを・・・ブランデンブルグ門
この直前にパトカーで護送されたバスが通過。
翌日に試合を控えたアルゼンチンのチームバスでした。
そして念願のベルリンの壁の跡。
実物は翌日に。このように歴史を残すために壁の跡が至るところに残されています。
この日は時差ぼけもあり、もう電池切れでした。翌日をお楽しみに。
パソコン持参で旅行された知人は、リアルタイムで現地から更新していたのですが、私はそうも行かず土産話もロクに出来ないまま、気付けば一年経ってしまいました。
中途半端に遅れて書くのも間抜けなのでなかなか手付かずだったのですが、思い切って一年遅れた今が丁度良いかと思い、始めることにしました。
私は欲張りなので、わざわざ遠いところに行くのであれば、いろんなものをまとめて見てしまいたいのです。後で後悔するのはまっぴらゴメンという訳です。
というわけで、ワールドカップ+ツールドフランス+建築見学の旅をすることにした。
?ワールドカップ
98年フランス・02年日本に続き、06年ドイツ大会の観戦。
準々決勝4試合中2試合
準決勝2試合中2試合
そして決勝
ダフ屋もびっくりの5枚のチケットを携えて、3度目のワールドカップへ。
?ツールドフランス
大学生の頃、体力が有り余っていたのでマラソンの他、自転車競技もかじっていた。ツールドフランスのテレビ放送も欠かさず見ていた時期もあり、選手の他、観客の姿を見ながらいつかの観戦に思いを馳せていた。
ただ2006年、何気なくコース図を見ているとドイツにとても近い部分がルートに取り入れられていることが発覚。興味あることにだけ反応する英語脳を駆使し、公共交通機関で行けるポイントを発見した。
?2000年にイタリア他3カ国、2001年に新婚旅行でバリ島に行ってから海外旅行には縁遠くなったのだが、設計事務所で建築情報を仕入れるにつれ、見たいもののストックが頭の中に増えてきた。それを見に行くためだけに飛ぶのも現実的には大変だけど、きっかけがあれば見たいもののリストは頭の中に明確にあった。あと、近代建築の宝庫であるベルリン、そして現代建築の宝庫となった原因のベルリンの壁。見たいもの満載です。
多少のハード日程は覚悟の上、見たいものを線で結んでみると、?+?+?で特濃クラスの旅行ルートが出来上がった。
確か、12日間の旅の始まりです。
2006年6月29日
6/29午前10時30分中部国際空港からルフトハンザ航空でドイツへ
6/29午後15時30分(以後すべて現地時間)フランクフルトへ。ここで乗り継ぎ。
注)サマータイム中の時差7時間。
ベルリンで三井ホーム時代の直属の先輩K氏と再会。
勤続15年のリフレッシュ休暇をこのタイミングで使ったとの事。
手前はベルリン名物カレー味のウインナー
手始めにまずはこれを・・・ブランデンブルグ門
この直前にパトカーで護送されたバスが通過。
翌日に試合を控えたアルゼンチンのチームバスでした。
そして念願のベルリンの壁の跡。
実物は翌日に。このように歴史を残すために壁の跡が至るところに残されています。
この日は時差ぼけもあり、もう電池切れでした。翌日をお楽しみに。
2007-06-29 08:17
nice!(0)
コメント(2)
トラックバック(0)
冷戦時代は、このブランデンブルグ門の上に機銃座が有って、西側へ逃げようとする人を狙っていたとか…。怖い話です。ブラックジョーク的ですが、反対側へ逃げようとする人はいない為、西側からはノーケアーだったそうな(笑)。
by moro (2007-06-29 18:15)
西側では落書き書き放題だったようですが、東側は壁に触れることすら許されなかった模様。<br />
<br />
一つの街が突如二つに分かれて、壁のあちらとこちらで国の体制が違う。ありえない悲劇です。
by isamu (2007-06-29 18:46)