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なぜ、建築設計の道に進んだのか?3 [なぜ、建築設計の道に進んだのか?]

こんにちは、大林です。



 今日は暖かかったですね。 家庭菜園の菜っ葉類もニョキニョキ伸びてきて嬉しい限りです。 水菜とホウレンソウは種から発芽して密集していたので多少間引いて、昼食のパスタの具になりました。



さて、前回の続き。



 北大の受験の日。

飛行機ではなく、乗ってみたかった寝台特急「北斗星」で札幌入り。

札幌駅で今は亡き、伯母さんが迎えに来てくださったのですが、列車から一歩外に出て寒くて泣きそうになりました。 実は私、夏の北海道しか知らなかったのです。冬の札幌がこんなに寒いとは!



 オレ、こんな寒いところで暮らせるのか? 寒いし、大都会だし、雪で地面見えないし、友達いないし・・・。 不安の中の受験でした。



 試験は無事終わり、手応えを感じて静岡に戻りました。

合格発表を見に行ってくれたのも伯母さん。 「受かってたよー!」連絡をくれたその声を今はもう聞くこともできません。 数年前に病気で亡くなってしまったから。 札幌で無事学生生活を送れたのも伯父さん伯母さんのお陰だったと、今でも本当に感謝しています。





 これは、2010年に家族旅行で行った時に懐かしく撮影した写真。 私が6年間住んでいた所で金物屋の3階でした。 家を借りるのなんて初めての経験でしたから、北部屋だけどそこしか空いていないからまあいいかと。



 当初はあまり考えていませんでしたが、北部屋は太陽が差さない。そんな当たり前のことを知りました。これは今の仕事に大いに影響する経験です。

ちなみに一年後に南の部屋が空き、プチ引っ越ししました。



 大学の方は、理科?類に無事入学。 ただ、このシステムは東大と一緒で、教養部の成績で最終的な進路が決まるという油断できないシステム。



 英語、ドイツ語は好きでしたし頑張りましたが、教養科目は良と可ばかり。今ひとつの平均点でしたが、何とか建築工学科に滑り込みました。



 ただ、建築工学科に進んだと言っても建築の勉強なんて初めてですし、建築家の名前もろくに知らず、覚えることも多く大変でした。





 そういえば、アパートから極近にあった「聖ミカエル教会」。 チェコ出身の建築家アントニン・レーモンドの設計。 私は、30代で軽井沢まで出かけて建物を見ましたよ。 それほど有名で魅力的な建築家。 確か、レーモンドの建築物は北海道ではここだけだったか。



 でも、でも・・・・、若かった私はまるで興味がなかった、近かったはずなのに一度も中を見ていない。不勉強を恥じ、チャンスを逃した後悔も感じます。 今ならスケッチブックとメジャー持って行くのになあ、残念。



 やがて建築の色々な教科を勉強していると、その中でも好きな分野が分かって来ました。 北海道は特に寒い地域ですから、健康な暮らしを実現するためには断熱や換気が非常に重要です。 また冬だけでなく夏も日射をコントロールし快適に暮らす工夫が重要。 ここに興味を感じ、「建築環境学講座」という研究室にお世話になることになりました。



 エコなんて言葉が流行るずっと前のこと。 私、先見の明があったようです。



大林勇設計事務所
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