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なぜ、建築設計の道に進んだのか?7 [なぜ、建築設計の道に進んだのか?]

こんにちは、大林です。



 夕方から、久しぶりに雨っぽい。

そうだ、前々から買って植えようと思っていたヒメシャラを植えよう。



 そこからの私は早かった。 近所の農協が経営しているファーマーズマーケットへGO。 農作物が販売されているマーケットですが野菜類の他、植木や花もひっそりと売られているのです。 GW前に墓参り用に切花を買いに出かけた際、ヒメシャラを発見して下見済み。 これって冬に買おうかどうか迷った木で、当時は落葉していたのであまり気持ちが盛り上がらず保留。 最近は新芽が出てさらに1000円安くなって5000円。 ワゴンRにうまく積み込み速攻で植えました。 そよそよと風にそよいで良い感じです。 葉の柔らかい木はいいですね。



 さて、「なぜ、建築設計の道に進んだのか?」シリーズも7回目。 読んでいる人がいるのか分かりませんが、反省と振り返りも重要かなとメモ代わりみたいなものです。



 アメリカ建築旅行から戻り、「スケールの大きなビル物は自分には向いていないだろうな。」、「ユーザーが濃く建築に関わるという意味では、住宅が好きだな。」と考えました。



 ただ、アトリエ系の設計事務所に進むほどの力も縁もなく、長男ですから海の向こうの札幌市に居続ける気もなく、大学の研究室で委託研究で関係があり、好きなフランク・ロイド・ライトをモチーフとした住宅を手がけていた三井ホーム株式会社がいいかなと考えたのです。



 ここからの就職活動は超特急で早かった。 教授が会社に電話してくださり、その後札幌支店で形だけの面接を受け、その後本社面接の後、内定を頂きました。 我々の時代はバブル後でしたが、同級生もこんな感じであっさり就職が決まる事が多かったようです。 



 大学院での研究は、現在の仕事とかなり関係のあることで、断熱や換気についてでした。



 今でも鮮明に覚えているのは、冬季の災害時の避難シェルターの温度環境という実験。 100ミリのスタイロフォームで4畳くらいの空間を作り、助教授以下数人の学生で外気マイナス10度の世界で宿泊し、温度計測をしたこと。



 寝袋にくるまり、ウイスキーをちびりちびりやりながら、皆で寝ました。断熱をしているのと人間の発熱が熱源で、それほど寒くなく2,3度の室温はキープできた記憶があります。 今思うと、換気はどうしていたんだろう? 冷静に考えると少し恐ろしくもあります。 あわや全員で酸欠+凍死するところだったのかもしれません。 まあ、無事生きていてこうしてブログを書いていることに感謝。



では今日はこのへんで。



大林勇設計事務所
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